parseyの英語ブログ

英語の勉強方法などについて

適宜は肯定?否定?

英語を使って仕事をしていると、日本語になりにくい英語表現に行き当たることがある。

先日あったのが、”Accordingly” という副詞だ。英語では、よく使う表現なのだが、敢えて日本語にしようとすると「適宜」とか、「それなりに」と、ちょっと分かりにくいニュアンスになってしまう。英語の意味合いとしては、ちゃんとやることを約束する意味合いなのだが、適宜対応するというと日本語的には、ちゃんとやってくれるのか心配になる。

こういう表現が結構英語にはあるし、最近流行っている機械語訳(いわゆるAIによる翻訳)だと、こうした表現のコンテキストまでは考えてくれていなかったりするので注意が必要だ。だから英語を覚えるのは、翻訳した日本語を覚えればよいという単純なものではない。

英語→日本語、日本語→英語と繰り返しているうちに、元の意味と180度変わってしまうこともまれにある。だから、通訳やAIを信用してはいけない。

会議だと通訳が入るとどうしても時間が掛かってしまう。試しに内容の分かっている部分を日本語で直接説明すると会議の進行もスムーズだ。

理想を言えば、外国人が出席する会議では、全員が英語で直接やりとりできれば意思の疎通も確実になり、会議時間も大幅に短縮できるのだ。

ドキュメントにしても、外資系では英語のドキュメントをそのまま読むのはあたりまえだと思っていたが、日本企業の社員が翻訳に頼っているのをみると日本の問題点が浮き彫りになる。英語はもはや常識としてだれもが使えるようにならなければ日本は世界からどんどん取り残されていくだろう。

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日本人に欠けている国際感覚

新プロジェクトXという番組を見た。内容は台湾高速鉄道で日本の中規模の建設企業が現地のレール敷設をサポートしたと言うもの。時速300kmを超える新幹線にとって、レールの凸凹が2mmあると列車が転覆すると言う。現場ではこの誤差を0.2mm以下に抑えるための技術を現地採用の社員に伝えるが、日本人の封建時代的な対応が現地社員の反発を招く。

ここで印象的だったのは通訳の台湾女性だ。彼女が現場に来た時、管理職からお茶を淹れてくれと頼まれたとき、『私はお茶汲みしに来てるのではないと』キッパリと断る。その歯に絹着せぬ対応が気に入られ、通訳チームのリーダーに抜擢される。彼女は両国の間に入って、なんとかぶつかり合いにならないように通訳上で配慮する。

『頭を叩いてはいけない』当時の日本人がつい軽い気持ちでやってしまうこうした行為が、相手の国には重く受け止められてしまう。AIが普及した今、言語の壁はだいぶ取り除かれたかもしれないが、こうした文化的な違いはAIだけでは簡単に取り除けない。

結局お互いに理解しあう、或いは分かりあおうとする姿勢が大事だと言うことだ。番組では飲み会で一緒に歌ったり、本音で話しあったりして、徐々に現場の人たちと打ち解けあっていったという取り組みが紹介されていた。

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打撃力が優った智辯和歌山

準決勝が決勝のような今回の甲子園。

やはり150km越えの速球が持ち味の横浜高校の織田が注目されたが、その織田の投球に対して1mmもバットを短く構えなかった智辯打線。対して、織田は調子がすぐれず、甘く入ったフォークが狙い撃ちされた。山田凛虎に先制打を打たれて、楠本に3ランホームランを撃たれ、ここで万事休す。決着が着いてしまった。

智辯打線を見ていると、どの選手も体格が良く、日頃のトレーニングの成果が窺われる。

どんなに速い球が投げられても、バントで出塁はできるし、機動力を活かされるとピッチャーとしてはお手上げだ。

そうは言っても、織田投手は10年に一度の逸材である。将来的にはメジャーで投げれて活躍することだろう。

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終戦の日

今日8月15日は、終戦の日だ。

例年お盆の帰省で母の故郷で迎えるのだが、今年は2日前の大雨で道路が寸断されていて行くのを断念せざるを得なかった。

母の故郷で親戚の家に挨拶に行くと、どこの家でも古い遺影の中に軍人さんの写真があったものだ。

今年も日本の首相は、靖国神社への参拝は見送ったものの、いわゆる玉串料を公式に納めた。

我が家には、戦争で命を落とした先祖はいないが、そうした英霊がいる家族だとこの日に思う感情は違ってくるのだろうか。

先日亡くなった美輪明宏氏は、「愛があれば戦争は起こらない」と言っていたが、世の中には自分たち民族の教えや、伝統を愛よりも優先する国民もいる。例えば、『約束の地』という伝説を信じて、敵対する民族をその地から追い出している国民。かつてその国では、敵対する民族同士の子どもを同じ学校で会話させて、小さい頃から敵対的な感情を排除する試みが行われていたと記憶しているが、今はどうなってしまったのだろうか。

日米安保があやふやになってきている現代、防衛力をアメリカに頼るのはもう通用しないのだろうが、唯一の被爆国である日本は、平和を訴える国であって欲しい。

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日本のおもてなし

おもてなしを英語で、”Hospitality” と言う。

Hospitalと言う単語の派生から、相手を思いやる意味合いがあるのが分かる。

今日、外食である中華レストランに入ったのだが、タイミングが悪く、店内は満席だった。こちらは3人だったので、2人で待っていたお年寄りを優先させて入店して貰った。

しかし外は炎天下で、ひさしこそあったが、気温的にはおそらく30度は超えていただろう。店外に小さなテーブルが置いてあって、メニューらしきものが乗っているのだが、どうせなら冷たい麦茶のポットでも置いておいてもらいたかった。以前、新橋の日本食レストランではそんなおもてなしをしていたお店があったものだが。

結局20分以上待たされて、さらにお冷が出てくるまで10分追加でかかる始末。それも隣の席に置いてあった使っていなかったコップをそのままこちらの席に移して来た。しかも2人分だけ。ちゃんとしたお店なら、3人来店したのだから3人分の水をコップに新しく入れて持ってくるべきだと思うのだが。ちょっとイラッと来たので「お冷が出てくるまで10分待った」と文句を言ってしまった。

店員が少ないのは分かるが、外で待っている客に気が回らないようでは、とても「おもてなし」の対応はできない。外国人相手が多くて天狗になっているのではないか?

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日本の人口が減ると

日本の人口が91万人減って、1億2000万人を割り込んだようだ。これは人口に占める外国人の比率が上がることを意味する。

既にここ数年、電車に乗ると周りに外国人が多くなったと実感する。以前はやや耳障りな中国語が目立っていたが、今はインド系の人が増えたと実感する。

インド系と言っても、同じインドでも北インドのデリーと南インドのバンガロールは言葉も違うし、インド界隈にはバングラディッシュやスリランカといった島国もあり、宗教や言語も異なる。

企業では楽天が多くのインド系のエンジニアを採用しているので、二子玉川で乗り降りするインド系の社員をよく見かける。

彼らは勉強熱心なので、日本語を巧みに話す人材もいれば、英語ー日本の翻訳などもまだまだAIがぎこちない一方で、インド系の人材は立派に翻訳業務をこなす。

よくAIに仕事を奪われるという話を聞くが、現実問題としては、インド系の人材に仕事を奪われている方が多いのではないだろうか。

日本人はせめて、英語にアレルギー反応をしないようになる必要があるだろう。

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九十九里の海水浴

連日暑い日が続いているが、この時期になると子供の頃遊びに行った母の実家のある九十九里での海水浴を思い出す。かつて(1975年頃)九十九里は高度経済成長期の観光ブームにあやかり、観光バスが何台も海辺の駐車場に押し寄せ、ビーチ沿いには海の家が立ち並び、活況を呈していた(以下参考資料)。

https://www.geoenv.tsukuba.ac.jp/~chicho/nenpo/28/05.pdf

だがそんなブームも、海外旅行をはじめとしたレジャーの多様化によってり下火になった。私の母の実家も民宿を営んでいたが、海水浴ブームが終わると、サッカー合宿などの宿泊施設として利用されていた。最近は民宿の数も減り、グランピングやペットと泊まれる宿泊施設などと多様化して来た。そんなブームもいつまで続くのか。

今や夏と言えば日本全国で40度に迫る気温の猛暑日あるいは酷暑日となり、海水浴に出かける観光客も激減した。

気象状況の変化はどうにもならないが、せめて風景だけでも昔の記憶を呼び起こすものが残って欲しいものだ。

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