parseyの英語ブログ

英語の勉強方法などについて

「いったい何のために行ったのか」という見出しが目に留まった

それは日刊スポーツの記事だった。

坂本龍一さん娘、高市首相国連演説に痛烈苦言「空っぽな言葉」「いったい何のために行ったのか」 - 芸能 : 日刊スポーツ

流石坂本龍一さんの娘だけあって、世の中が良く見えている。

坂本龍一さん自身もかつて神宮の森の保存を訴えていたことがあるが、親譲りというか、何が正しいことかが良く分かっているのだろう。

何でもアメリカの言いなりになることが必ずしも国のためになるとは限らない。蜜月関係にあるからこそ、言うべきことはしっかりと言う。それが一国のリーダーたるべきではないのか。

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第2次高市内閣発足

第2次高市内閣が発足した。

今後の政策に期待している方も多いと思うが、私はそうは思えない。

第1次高市内閣は日本初の女性総理大臣として注目を集めたが、結果はどうだったろうか?

中国との関係悪化で中国からのインバウンドは激減し、政策は相変わらずアメリカ頼みで、国民の声を聞いているのかも疑わしいものだ。

何が気に入らないと言えば、今回の閣僚の中に政治資金収支報告書の不記載が2名もいることだ。犯罪には当たらないのかもしれないが、はたしてそんな閣僚を指名した内閣を信用できるだろうか?

具体的な政策も聞こえてこないし、円安に歯止めはかからないし、金利も上がり、中小企業は資金繰りに困り路頭をさまようことだろう。ガソリン価格の上昇と円安で輸送コストは上がり、間違いなく物価高に拍車がかかりそうだ。これでは老後も働きつづけなければいけなくなりそうだ。

頼みの野党も中道が正式に分裂を発表し、チームみらいも注目はされるもののまだまだ弱小政党だ。

世界ではAIの開発ピッチを疑問視する声も出始め、気候変動も相俟って明るい未来がまったく見えて来ない。

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適宜は肯定?否定?

英語を使って仕事をしていると、日本語になりにくい英語表現に行き当たることがある。

先日あったのが、”Accordingly” という副詞だ。英語では、よく使う表現なのだが、敢えて日本語にしようとすると「適宜」とか、「それなりに」と、ちょっと分かりにくいニュアンスになってしまう。英語の意味合いとしては、ちゃんとやることを約束する意味合いなのだが、適宜対応するというと日本語的には、ちゃんとやってくれるのか心配になる。

こういう表現が結構英語にはあるし、最近流行っている機械語訳(いわゆるAIによる翻訳)だと、こうした表現のコンテキストまでは考えてくれていなかったりするので注意が必要だ。だから英語を覚えるのは、翻訳した日本語を覚えればよいという単純なものではない。

英語→日本語、日本語→英語と繰り返しているうちに、元の意味と180度変わってしまうこともまれにある。だから、通訳やAIを信用してはいけない。

会議だと通訳が入るとどうしても時間が掛かってしまう。試しに内容の分かっている部分を日本語で直接説明すると会議の進行もスムーズだ。

理想を言えば、外国人が出席する会議では、全員が英語で直接やりとりできれば意思の疎通も確実になり、会議時間も大幅に短縮できるのだ。

ドキュメントにしても、外資系では英語のドキュメントをそのまま読むのはあたりまえだと思っていたが、日本企業の社員が翻訳に頼っているのをみると日本の問題点が浮き彫りになる。英語はもはや常識としてだれもが使えるようにならなければ日本は世界からどんどん取り残されていくだろう。

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日本人に欠けている国際感覚

新プロジェクトXという番組を見た。内容は台湾高速鉄道で日本の中規模の建設企業が現地のレール敷設をサポートしたと言うもの。時速300kmを超える新幹線にとって、レールの凸凹が2mmあると列車が転覆すると言う。現場ではこの誤差を0.2mm以下に抑えるための技術を現地採用の社員に伝えるが、日本人の封建時代的な対応が現地社員の反発を招く。

ここで印象的だったのは通訳の台湾女性だ。彼女が現場に来た時、管理職からお茶を淹れてくれと頼まれたとき、『私はお茶汲みしに来てるのではないと』キッパリと断る。その歯に絹着せぬ対応が気に入られ、通訳チームのリーダーに抜擢される。彼女は両国の間に入って、なんとかぶつかり合いにならないように通訳上で配慮する。

『頭を叩いてはいけない』当時の日本人がつい軽い気持ちでやってしまうこうした行為が、相手の国には重く受け止められてしまう。AIが普及した今、言語の壁はだいぶ取り除かれたかもしれないが、こうした文化的な違いはAIだけでは簡単に取り除けない。

結局お互いに理解しあう、或いは分かりあおうとする姿勢が大事だと言うことだ。番組では飲み会で一緒に歌ったり、本音で話しあったりして、徐々に現場の人たちと打ち解けあっていったという取り組みが紹介されていた。

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打撃力が優った智辯和歌山

準決勝が決勝のような今回の甲子園。

やはり150km越えの速球が持ち味の横浜高校の織田が注目されたが、その織田の投球に対して1mmもバットを短く構えなかった智辯打線。対して、織田は調子がすぐれず、甘く入ったフォークが狙い撃ちされた。山田凛虎に先制打を打たれて、楠本に3ランホームランを撃たれ、ここで万事休す。決着が着いてしまった。

智辯打線を見ていると、どの選手も体格が良く、日頃のトレーニングの成果が窺われる。

どんなに速い球が投げられても、バントで出塁はできるし、機動力を活かされるとピッチャーとしてはお手上げだ。

そうは言っても、織田投手は10年に一度の逸材である。将来的にはメジャーで投げれて活躍することだろう。

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終戦の日

今日8月15日は、終戦の日だ。

例年お盆の帰省で母の故郷で迎えるのだが、今年は2日前の大雨で道路が寸断されていて行くのを断念せざるを得なかった。

母の故郷で親戚の家に挨拶に行くと、どこの家でも古い遺影の中に軍人さんの写真があったものだ。

今年も日本の首相は、靖国神社への参拝は見送ったものの、いわゆる玉串料を公式に納めた。

我が家には、戦争で命を落とした先祖はいないが、そうした英霊がいる家族だとこの日に思う感情は違ってくるのだろうか。

先日亡くなった美輪明宏氏は、「愛があれば戦争は起こらない」と言っていたが、世の中には自分たち民族の教えや、伝統を愛よりも優先する国民もいる。例えば、『約束の地』という伝説を信じて、敵対する民族をその地から追い出している国民。かつてその国では、敵対する民族同士の子どもを同じ学校で会話させて、小さい頃から敵対的な感情を排除する試みが行われていたと記憶しているが、今はどうなってしまったのだろうか。

日米安保があやふやになってきている現代、防衛力をアメリカに頼るのはもう通用しないのだろうが、唯一の被爆国である日本は、平和を訴える国であって欲しい。

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日本のおもてなし

おもてなしを英語で、”Hospitality” と言う。

Hospitalと言う単語の派生から、相手を思いやる意味合いがあるのが分かる。

今日、外食である中華レストランに入ったのだが、タイミングが悪く、店内は満席だった。こちらは3人だったので、2人で待っていたお年寄りを優先させて入店して貰った。

しかし外は炎天下で、ひさしこそあったが、気温的にはおそらく30度は超えていただろう。店外に小さなテーブルが置いてあって、メニューらしきものが乗っているのだが、どうせなら冷たい麦茶のポットでも置いておいてもらいたかった。以前、新橋の日本食レストランではそんなおもてなしをしていたお店があったものだが。

結局20分以上待たされて、さらにお冷が出てくるまで10分追加でかかる始末。それも隣の席に置いてあった使っていなかったコップをそのままこちらの席に移して来た。しかも2人分だけ。ちゃんとしたお店なら、3人来店したのだから3人分の水をコップに新しく入れて持ってくるべきだと思うのだが。ちょっとイラッと来たので「お冷が出てくるまで10分待った」と文句を言ってしまった。

店員が少ないのは分かるが、外で待っている客に気が回らないようでは、とても「おもてなし」の対応はできない。外国人相手が多くて天狗になっているのではないか?

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